世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第6回】「駅前のヤギは赤飯を食べるか」〈田中真知×中田考〉
田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第6回】
「退屈だ!」
リュウはベッドの上でつぶやいた。
つぶやきといっても、リュウの場合、声が大きすぎて、病室にいる全員に聞こえるほどだった。
同室の患者たちは最初は驚いたが、あきらめたのか、関わりたくないのか、耳が遠いのか、だれも何もいわない。
「なにもかもが退屈だ!」
リュウがまた声を上げた。
気がつけば事故から1か月以上たっていた。
痛みは以前に比べればやわらいできたし、リハビリの成果なのか、杖を使えば、よろよろとではあるがなんとか歩けるようになっていた。
「昼食です」
配膳車ががらがらと音を立てながら病室に入ってきた。
それと入れ替わるように、リュウはベッドから起き上がると、よろよろと病室を出ていった。
病院の飯にはうんざりしていた。
寝間着姿で杖をつきながら、リュウはエレベーターに乗り、ロビーから病院の外へ出た。
むっとした熱気がからだを包んだ。
夏の日ざしがまぶしかった。
ふりむくと、「鶴亀病院」という看板が目に入った。
つるかめびょういん? ふざけた名前だ。それにしても、なんでこんなことになっちまったんだ。
同じことは警察にもなんども聞かれた。
オレは、ナビのいいなりになりたくなかったからだ、といった。
だが、警察は信じなかった。
それどころか、やつらはオレの頭がおかしいと疑いだし、怪我から回復したら鑑定を受けるようにといいだした。
冗談じゃない。
ナビのいいなりに生きてきたやつらになにがわかる。
だが、オレにも、じつはよくわからない。
事故のせいで記憶がすっぽぬけたのかもしれない。
いや、すっぽぬけたというより、あの事故以来、記憶の順番がどうもあいまいなのだ。
なんというか、古い順から積み重ねられていた記憶の積み木が事故の衝撃でバラバラに崩れてしまい、それらをもういちどいいかげんに積み直したかのようで、どこか頭の中がぎくしゃくしている。
そうだ。だいたい、あの武内ってナース、あれは中学のときのレイだろ。なんであいつがここにいる? あいつはオレのことを好きだったんだよな。いや、ちがったかな。まあ、どっちでもいいか。
気がつけば、リュウは駅の近くのコンビニに入っていた。
おにぎりコーナーへ行くと、リュウは赤飯のおにぎりをぽんぽんとカゴに放り込んだ。
リュウにとって、おにぎりといえば赤飯だった。
高校のとき、親類の葬式に参列したときもコンビニで買った赤飯おにぎりを会場でほおばり、大いにひんしゅくを買った。
コンビニを出たリュウは赤飯にかぶりつきながら、商店街の方へとよろよろと歩いていった。
くー、暑いな。
駅前につづく道路に陽炎がゆらめていた。
感染症のせいで、人通りも少ない。
そのときだった。
あれっ?
熱気でゆらゆらする駅前の風景の中に妙なものが見える。四つ足動物のようだ。
犬か?
一瞬そう思ったが、犬にしては大きい。角らしきものも見える。
なんだ?
リュウは杖をつきながら、よろよろとその生き物に近づいていった。
ゆっくり歩いていたその生き物は、リュウに気づくと立ちどまって、ちらっと顔を向けた。白いひげがある。
ヤギ?
動物園から逃げ出したのだろうか。それとも飼われているのだろうか。それにしては首輪や手綱もない。ひょっとして野生? いや、この都会でそれはないだろう。
リュウはあたりを見回した。
改札から出てくる人はちらほらいるものの、ヤギに関心を示す人はいない。
ヤギは駅前の花壇の雑草をもぐもぐ食べはじめた。
駅員が通りかかったが、やはりヤギを見ようともしない。
駅員も通行人もヤギがいることに気づいていないかのようだった。
リュウはゆっくりした足取りでヤギの方へ近づいていった。
そばに寄ると、ヤギはけっこう大きかった、
そのときヤギが花壇から頭を上げてリュウを見た。
目が合った。
リュウは無意識に手にしていた食べかけの赤飯をヤギの方へ差し出していた。
ヤギは一瞬、鼻面を赤飯に近づけた。
だが、次の瞬間、ヤギは顔を背けて、花壇を飛び越え、駅前のロータリーを軽やかにわたって、商店街の方へ姿を消した。
呆然としていると、改札から一人の男があわただしく走り出てきた。
男は花壇に近寄ると、身をかがめて草の様子を観察していた。それから顔をあげると、鋭いまなざしで、あたりを見回した。浅黒い顔をしたひげの濃い中東系の外国人だった。
「ひょっとして、ヤギ探してる?」
リュウが声をかけた。ひげの外国人はびくっとしてリュウを見た。
「ヤギ、メーメー」
リュウはヤギの鳴き声をまねた。外国人が大きくうなずいた。
「あっち行ったぞ」
リュウは商店街の方を指さした。
「ありがとう!」
外国人は胸に手を当て、流暢な発音で礼をいった。
それから花壇を飛び越え、ロータリーを渡って、商店街の方へと走っていった。
(第7回へ、つづく…)
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第1章 あなたが不幸なのはバカだから
承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?
第2章 自由という名の奴隷
トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題
第3章 宗教は死ぬための技法
老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる
第4章 バカが幸せに生きるには
死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない
第5章 長いものに巻かれれば幸せになれる?
理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す
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